『祭り』と『音楽』は浜松の誇り

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浜松まつり

静岡県浜松市は静岡県の県庁所在地ではありません。しかし、スズキや河合楽器など世界的に有名な企業もあり県庁所在地の静岡市よりも人口の数は上回っています。そしてなんといっても有名なお祭りと、国際ピアノコンクルールも行なわれています。

まず最初に、浜松市のお祭りで全国的にも有名なのは【浜松まつり】です。このお祭りは、初めて誕生した子供(初子)を祝うお祭りです。そして生まれた子供の成長を願って凧上げをするのですが、子供の名前を凧に書きます。各町内で、たくさんの凧が揚げられますが、単なる凧揚げだけではなく【けんか凧】です。遠州灘の中田島砂丘で凧は揚げられますが、他の町内で揚げられた凧を「凧切り」といって麻糸5mmの糸を他の麻糸に絡ませます。そして摩擦を起こして相手の糸を切るというのが「凧切り」で、切られた凧を必死になって追いかけていきます。そして凧がやられた=子供の凧がやられたということで【ケンカ】が勃発したりします。ボロボロになっていいんです。これが浜松祭りのけんか凧ですから。

揚げられる凧の大きさもかなり大きく、凧合戦であげられる大凧の大きさは4帖から6帖です。1辺あたりの大きさが2.9mなのでかなり大きい凧になります。そしてその大凧には子供の名前の他にも、初子が産まれた家の家紋が描かれたりしています。最近は少子化ということもあって、初めて誕生した子供以外でも第2子や第3子でも大歓迎されています。もちろん子供の為に凧をあげたい!と思うならば、しっかり事前の準備とお金の用意は必須になります。うわさによると、子どもの凧上げと子供の成長を願って町内の人に初練りをしてもうとするならば・・新車を買うぐらいの金額を用意しなくてはいけないとも言われています。「えっ?!新車1台分のお金?!!」とびっくりするかもしれません。しかし代々浜松祭りをこよなくあいしてきた人に聞くところによると「子供の誕生を喜び成長を願うなら、車1台分の出費など安いものだ」と言っていました。そんなぁ~!!そんな金額用意できない!!という人も多いと思います。そんな時には【初練り】だけをお願いしたりして、凧あげは無しにしたりと出費を抑える秘訣はあります。

ちなみに【初練り】は夜に行なわれます。町内の人達が参加しているのですが、町内の旗と提灯を持って町内の法被を着ています。そして町内のラッパ隊(子供)がラッパを吹いて、太鼓も打ち鳴らしています。そしてすり足で「おいしょ。おいしょ。」と掛け声と一緒に、初子が産まれた家へやってきます。昔は男の子が誕生した家でしたが、今はもちろん第二子でも、女の子が産まれた家でも大丈夫。町内会の人にお願いすると喜んで【練り】に来てくれます。町内会の人達がよる「おいしょ。おいしょ!おいしょ!!」の掛け声で、子供が産まれた家にやってきたら迎える側の家は、振る舞い酒をします。もちろん振る舞い酒は大量に準備しておきます。お酒の他にもおつまみ。そして練りに参加している子供たちのためにもジュースやお菓子を準備して振る舞います。そこでいっとき酒宴があり、【練り】の代表者というか組長さんの掛け声で、父親が生まれた子供を肩車とかします。組長の掛け声生まれた子供の名前を連呼して「おいしょ。おいしょ。」があり、最後に子供の成長を願って万歳三唱して終了です。そして次の生まれた家へと【練り】は続きます。この【練り】が一番最初の家に来たら、最後に廻ってくる【練り】の家よりも格段にお酒も出ます。予算があまり・・というのであれば、何件目に来る予定なのか?もしっかりと組長などと話をしていた方が良いと思います。子どものお披露目の場でもあるので、そこで少ない量だとばつの悪い思いをしてしまうので【練り】に来るのが何番目か?!ということも確認しておきましょう。

凧をあがるよりも【初練り】だけにする方が、もちろん金銭的にも少ない少ない負担で済みますが、そうはいっても振る舞い酒などの準備などは足りないということがないように、たっぷり残るぐらいの準備は必要になりますね。またお祝いに来てもらう家側はこの【初練り】に来てもらう日に、親しい友人や親戚などを呼んで自宅で酒宴をするようです。浜松出身者を祖父母に持っているならば、祖父母からも「浜松まつりするから・・・」と言えば、多少なりとも金銭的な援助もしてくれます。特にずっと生まれも育ちも浜松だ!というご家庭ならば、おじいちゃんなども「浜松まつり」に並々ならない情熱を持っているので、かなりの金額援助を期待しちゃいましょう~!

そんな思惑ばかりではないでしょうが、親戚筋などや友人などを呼んで子どものお披露目を兼ねての「浜松まつり」中にまず身内で酒宴をしています。そして酒宴している最中に、町内からの【初練り】が到着する。という流れになっています。この【練り】は以前は夜中の12時過ぎまで「おいしょ。おいしょ。」でしていたようですが、最近は「うるさい!」とクレームがかなり出ているようで22:00までになりました。

昼間は遠州灘で凧をあげ、夜は練りが町内で繰り広げられて5月3日から3日間連続で繰り広げられます。ちなみに【練り】は1回だけなので、連続3日間も来るというものではないのでご安心ください~ 浜松祭りの中で【練り】に参加するのが一番好きだ!という浜松っ子はたくさんいます。何が何でもこの浜松祭りには参加するために、ゴールデンウィークは必ず浜松に帰省する。という人もたくさんいます。小学生になったら、ラッパ隊に入り浜松まつりのためにひたすら会所で練習を繰り返します。そして、浜松まつりの前に男衆(おとこしゅう)は子どもたちの練習を見たりしながら、会所で酒を飲みながら浜松祭りについて話をしながら飲む。そして5月3日の初日から3日間、ぶっ通しで祭りに没頭します!

浜松まつりってどんな伝統?!

浜松まつりの起源は、神社仏閣の祭礼とは全く関係のない市民参加型のお祭りです。一説によると浜松祭りの始まりは、永禄年間の1558年~1569年と言われています。(特に記録は残っていない)その当時の浜松を治めていた引間城主の長男誕生を祝って、城中で高く凧を揚げたことが、浜松祭りの凧揚げの起源とも言われていますが、あくまでも伝聞です。

きちんと記録に残っているものでは、1789~1800年の寛政の時代に凧の記録が残っています。遠州灘は風が強く凧があがりやすかったといのも凧揚げが定着した理由の一つではないでしょうか。そして、東西の文化の合流地点だったこともあります。ますます浜松祭りは盛んになっていきました。

横須賀・相良(現在:牧之原市)袋井などにも多くの凧があります。それと比べてもやはり、浜松は特に盛んな地区になっています。浜松藩の頃、24か町の職人の町がありました。伝馬・塩・鍛冶・元魚・田・連尺・大工・紺屋・肴・旅籠・板屋などの町が、それから後の凧揚げの中心を担う町へとなっていきました。

浜松まつりは、江戸時代に定着したといわれていますが江戸時代から明治時代に入ってから浜松まつりはさらに活気を帯びるようになりました。浜松まつりには欠かせない初凧と凧合戦が本格化したのも明治20年頃です。長男が生まれたら、その子どもの成長を願って凧を揚げる初凧の風習は、遠州地方へと広がっていきました。そして、各町ごとばらばらに揚げられていた凧揚げを1か所にもまとめよう!という機運が高まっていきました。

一番最初にまとまってなされた凧揚げは、鉄道工場建設予定地を借用して行うようになりました。そして各町ごと自主的な管理組織として統監部が結成されていき、次第に組織化されていきました。1919年(大正8年)4月26日に統監部が歩兵第67連隊を訪れて、和地山練兵場(現:和地山公園)を、凧合戦の会場に使いたいという申し入れを行いました。

第67連隊側は、浜松出身の兵隊は商家の出が多かったために、全国的にもみても浜松出身者の体格が劣っていることもあり、男性的で活発な凧揚げが身体鍛える手段になる!ということを理由の一つにして練兵場の使用を許可したと言われています。和地山の練兵場では、第二次世界大戦が始まる直前まで、凧揚げ合戦が繰り広げられることになりました。

第二次世界大戦が終わり、その3年後に凧揚げ合戦は再開されました。それには焼野原となった浜松をなんとしても復興させたいという思いも込められていたのかもしれません。1948年(昭和23年)に、凧揚げ会場を一時的に中田島砂丘に移します。そして浜松市連合凧揚会主催で第1回の凧揚げ合戦が、城下町24か町を中心にした、50か町余の参加を得て盛大に開催されることになりました。

1950年(昭和25年)に、凧揚げ合戦から名前を「浜松まつり」と名称を変えています。それには市民をあげてのお祭りにという思いが込められて内容と組織も充実させるようになりました。戦前には40~50か所の町の参加で開催されていましたが今では170を超える町が参加しています。【練り】の他にも夜に御殿屋台の引き回しをしますが、この屋台引き回しには80を超える町が参加しています。

凧の揚げ方

ケンカ凧と言われるだけあり、凧が切られたり落ちたりすることもあります。落ちた時には次の凧を揚げていくので、凧揚げ合戦の時には5~10枚の凧を準備します。

まず、糸枠には2人ぐらいがついています。そして1人か2人が凧を持ちます。合図と同時に手を放して、糸先の人から順番に走りながら引っ張っていきます。4人目ぐらいの人が糸を出していきます。糸を持つのは、3~4人が糸先から順番に5mの間隔で糸を持ちます。

ケンカ凧開始

凧があがって凧が安定したら、ケンカする凧をみつけて合戦へと向かいます。凧の位置を確認して、別の凧で糸を絡ませていきます。そして凧と糸が直線になるように移動していきます。ケンカ凧中は、糸を引いたり出したりして調節していきます。そして凧が落ちない様に注意しながら掛け声をかけて、止めないようにしてきます。

凧を合戦させる方法には二つあって、糸を上から乗せ掛けるチョン掛けと、下からすくいあげる釣揚げがあります。合戦は糸を引くときには「テギ」という滑車のような器具を使います。このテギは糸を出したり引っ張ったりするときに手を使うと摩擦で手が熱くなるのでこの「テギ」を使用します。糸を緩めたり、早く糸を出したりして攻撃を仕掛けたり相手の攻撃を避けたりとしていきます。

御殿屋台(ごてんやたい)引き回し

夜6:30~から御殿屋台引き回しがはじまえりますが、昔は凧揚げ合戦から帰る若衆(わかしゅう)を迎えるために芸者衆が底抜け屋台を造って練り歩いたのが始まりだと言われています。現代は豪華な彫刻と幕などで装飾されています。

屋台の上では、女の子達を中心にしたお囃子が乗っています。三味線や笛を使用したお囃子が奏でられます。浜松まつりの屋台で奏でられる囃子は「小鍛冶」「鞍馬」などの黒御簾や「梅は咲いたか」などの小唄が多いのですが、一般的な山車とは違って、浜松の屋台が芸者の乗る「花屋台」として発展してきたので、現在でも三味線や篠笛は芸者や稽古場の師匠などの音曲の専門家に任せる組(町内)が多いのが特徴です。

浜松まつりの問題点

かつては「日本一の凧合戦」と謳われていた浜松の凧揚げ合戦ですが、最近では伝統的な凧糸の切り合いの技が見られなくなってきています。前述の凧合戦の凧を切る技も、あまり見られなくなってきました。理由には祭りの参加町数が過去30年の間に3倍近くまで膨張したことがあげられます。凧切りの技術、そのものを持っていない組が増えたことに加えて、会場である遠州灘海浜公園白羽地区(通称「凧場(たこば)」)が手狭になってきていることも理由にあげられます。糸切り合戦に消極的な一部の組の中には、凧を揚げることに特化していて、凧の骨組みも少なくして軽量凧を使用している組みもあります。

肥大化による弊害は、【夜の屋台引き回し】や【練り】でも顕著に表れています。遠方から夜間輸送をして、浜松市の中心部に屋台を持ってきたり、浜松まつりの屋台ではない秋季に市内各地で行われる収穫祭の太鼓屋台を引き回したりする組も出てきてしまいいわば何でもアリ状態になってきていたうえに、会場は飽和状態になっています。かつては、大通りに四方の道路から屋台や練り隊が進入して、迫力ある大きな渦になる様子が見られていましたが、現在大通りにおる屋台・練り隊の進行方向は一方(反時計回り)、追い越し禁止、町または連合・ブロック毎に縦列に並び進行、大通り沿いで練りを潰すことができる場所はみずほ銀行浜松支店前の交差点一箇所のみと規制されています。(以前は練りでぶつかった、別の町内会を「おいしょ。おいしょ」の掛け声で渦として潰すということが出来た)

国内有数の規模に発展した反面で、凧合戦や練りは本来の荒々しさを失ってしまい練りも大名行列のようになってきています。伝統の継承が危ぶまれる現在にあって、古い時代を知る人々からは浜松まつりの変容を危惧する声があがってきています。

もともとは、【凧合戦】と【屋台】と【練り】というのが浜松まつりの根本でした。それがなぜかいつの間にか祭の趣旨から外れたイベントが増えて、祭り本来の姿が崩れ始めているのも浜松祭りが変わったとも言われる要因でもあります。合同練り(揶揄して百姓行列とも)や、ミスコンやサンバパレードが行なわれたりしているので、そんなのする必要があるのか?本来あるべき姿じゃないのでは?!と浜松まつりの本筋とは関係のない行事が付け加えられています。

そして「合同練り」のような新しいイベント(本来の浜松まつりとは関係のない)がいろいろと増えたことで、古くから参加している市の中心部の町が場所と時間の制約を受けるようになりました。本来そこにあるるべき姿の屋台引き回しが出来なくなるという状況になり、さらに屋台引き回しの後にする初練りの運行にも支障を来たしている。市中心部の交通規制解除は午後9時ですが、現在午後9時前に屋台の引き回しを終了するのは不可能な状態になり、交通量の多い繁華街の道路で子供達の引く屋台のすぐ脇を車が通り抜ける事態になっています。また規約で定められた行事全体の終了時間は午後10時になっているにもかかわらず、屋台の引き回しが終了するのは午後9時を過ぎるために、ここから初練りを始めると初練りの終了時刻は規約の定める午後10時を大幅に超えてしまいます。そして、初練りに付きもののラッパに掛け声が町内に響き渡るので、浜松まつりに参加していない市民からの苦情が出る原因にもなっています。

【初練り】は、元々は凧揚げの疲れを労って振舞われていたものですが、最近では凧揚げには参加しないで【練り】だけに参加したり、初子を祝うための練りですが子どもの祝いには何の関心も示さない、タダ酒目的の参加者も増えています。そして、中高校生の飲酒なども問題になっています。「浜松まつり」では凧揚げの時から既に男衆は飲んでいます。【練り】の時点でかなり酒も入っていて酔っているうえ、【練り】をするのでずっとアルコールが供給されている状況です。子どもたちは大人が酔っている隙を見て、こっそりと【練り】で訪れた家で飲んでます。浜松で育った子供は「浜松まつり」で酒を覚えたとも。小学生もラッパ隊でお祭りに参加する「浜松まつり」ということもあり、この時ばかりは小学生が深夜に歩いていてもお咎めなし!という風潮なので「浜松まつり」を快く思わない人達から特に問題視されているのも事実です。

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