『祭り』と『音楽』は浜松の誇り

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ショパン国際ピアノコンクール その1

中村紘子が第7回ショパン国際ピアノコンクールで第4位に入賞していますが、ショパン国際ピアノコンクールは、ピアニストを目指す人にとっては最高の登竜門と見なされていて、エリザベート王妃国際音楽コンクール、チャイコフスキー国際コンクールとあわせて世界三大コンクールと呼ばれています。

日本人初入賞者は1955年(昭和30年)第5回大会で入賞した田中希代子で、日本人が初めて出場したのは1937年(昭和12年)第3回大会の原智恵子と甲斐美和です。そして、第3回に初出場した原智恵子ですがコンクールで多くの聴衆の支持を獲得することになりましたが、15位入選とされ(13位までが入賞)ました。前回15位までが入賞だったことを知っていた聴衆が憤慨して、コンクール会場には警官隊が出動するほどの大騒ぎとなりました。結局困った審査員が特例として彼女に「特別聴衆賞」を贈ることでようやく事態は収まりましたが、原智恵子が入賞することにはなりませんでした。聴衆次第で、コンクール委員会が救いの手を差し伸べるようになったのは、彼女のおかげでもあります。

浜松を楽しみ尽くす件

ショパン国際ピアノコンクール概要

ショパンの故郷ポーランドの首都ワルシャワで5年に1回、そしてショパンの命日でもある10月17日の前後3週間にわたって開催されます。ショパンは、第一次世界大戦で解放されるまで他国によって虐げられたポーランド人の誇りでもあります。大戦後のポーランド人は、ショパンの名を冠にした国際ピアノコンクールを、ショパンの命日を中心とした期間に開催することにしました。

現在、国際音楽コンクールは数多く開催されていますが、このショパン国際ピアノコンクールは現在も続く国際音楽コンクールの中では最古のコンクールになっています。過去の入賞者には世界の巨匠が名を連ねています。第二次世界大戦中にはコンクール開催の中断がありました。このコンクールでの課題曲は、予選と本選すべてのステージでショパンの作品のみの演奏が義務付けられています。

1955年(昭和30年)の第5回コンクールまでの優勝者は、ポーランドかソ連の出身者によって優勝者の席は占められていました。しかし1960年(昭和35年)の第6回コンクールでイタリア出身のマウリツィオ・ポリーニが圧倒的実力で審査員全員一致の優勝しました。西側諸国出身者の優勝者が出るようになったのは、このイタリア出身のマウリツィオ・ポリーニ以降になっています。

このコンクールは、現在のクラシックのピアニストの世界で頂点に立つ才能を世に送り出しているコンクールと言っても過言ではないほどです。1990年(平成2年)第12回と1995年(平成7年)の第13回では、2回続いて第1位優勝者が輩出されないという状況になっていましたが、2000年(平成12年)第14回に中国のユンディ・リが15年ぶりに優勝しました。2005年(平成17年)第15回コンクールの模様はインターネットで全世界に配信されることになりました。そしてこの回では、初の試みとして書類選考を通過した参加者全員をワルシャワへ呼び集めて、テープやビデオ審査ではない生演奏による「予備審査」が導入されましたが、2つの会場で同時にコンクール予備審査が行われるという審査方法は問題にもなりました。

公式日程のほかにも、市民が気に入ったピアニストを(たとえ予選で落ちていても)私的に囲んで演奏会を催したり、期間中遠方からの参加者がピアノを貸してくれる市民宅に逗留したりするなどのワルシャワの市民も参加するイベントが開催されています。

歴代の入賞者 その1

第1回(1927年)入賞者

  • 第1位 レフ・オボーリン(ソ連)
  • 第2位 Stanisław Szpinalski(ポーランド)
  • 第3位 Róża Etkin-Moszkowska(ポーランド)
  • 第4位 グレゴリー・ギンズブルグ(ソ連)

第1回コンクールには、ソ連の作曲家ショスタコーヴィチが参加しています。ショスタコーヴィチはシベリウス、プロコフィエフと共に、マーラー以降の最大の交響曲作曲家としての評価がほぼ確立され、世界的にも特に交響曲の大家と認知されています。また、弦楽四重奏曲においても秀逸な曲を残し、芸術音楽における20世紀最大の作曲家の一人でもあります。

第2回(1932年)入賞者

  • 第1位 アレクサンドル・ウニンスキー(ソ連)
  • 第2位 イムレ・ウンガル(ハンガリー)#同点で、コイン・トスによって順位を決めました。
  • 第3位 Bolesław Kon(ポーランド)
  • 第4位 Abram Lufer(ソ連)
  • 第5位 ルイス・ケントナー(ハンガリー)
  • 第6位 Leonid Sagalov(ソ連)
  • 第7位 Leon Boruński(ポーランド)
  • 第8位 Teodor Gutman(ソ連)
  • 第9位 Gyula Karolyi(ハンガリー)
  • 第10位 Kurt Engel(オーストリア)
  • 第11位 Emanuel Grossman(ソ連)
  • 第12位 Josef Wagner(ドイツ)
  • 第13位 Maryla Jonasówna(ポーランド)
  • 第14位 Lily Herz(ハンガリー)
  • 第15位 Suzanne de Mayere(ベルギー)

第2位のイムレ・ウンガル全盲のピアニストでした。

第3回(1937年)入賞者

  • 第1位 ヤコフ・ザーク(ソ連)
  • 第2位 Roza Tamarkina(ソ連)
  • 第3位 ヴィトルド・マルクジンスキ(ポーランド)
  • 第4位 Lance Dossor(イギリス)
  • 第5位 Agi Jambor(ハンガリー)
  • 第6位 Edith Axenfeld(ドイツ)
  • 第7位 モニク・デ・ラ・ブルショルリ(フランス)
  • 第8位 ヤン・エキエル(ポーランド)
  • 第9位 Tatyana Goldfarb(ソ連)
  • 第10位 Olga Iliwicka(ポーランド)
  • 第11位 Pierre Maillard-Verger(フランス)
  • 第12位 Lelia Gousseau(フランス)
  • 第13位 Halina Kalmanowicz(ポーランド)

日本人初出場の原智恵子が出場した回です。特別聴衆賞になりましたが、入賞にはなっていません。

第4回(1949年)入賞者

  • 第1位 ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(ポーランド)、ベラ・ダヴィドヴィチ(ソ連)
  • 第2位 Barbara Hesse-Bukowska(ポーランド)
  • 第3位 Waldemar Maciszewski(ポーランド)
  • 第4位 Georgi Muravlov(ソ連)
  • 第5位 Władysław Kędra(ポーランド)
  • 第6位 Ryszard Bakst(ポーランド)
  • 第7位 エフゲニー・マリーニン(ソ連)
  • 第8位 Zbigniew Szymonowicz(ポーランド)
  • 第9位 Tamara Guseva(ソ連)
  • 第10位 Wictor Mershanov(ソ連)
  • 第11位 Regina Smendzianka(ポーランド)
  • 第12位 Tadeusz Żmudziński(ポーランド)

ハリーナ・チェルニー=ステファンスカはこの大会での成功をきっかけに、その後全世界でショパンを引いて回りました。ポーランドを代表するショパン弾きピアニストとして一世風靡しました。ベラ・ダヴィドヴィチも同じくこのコンクールの覇者となりましたが、1978年にアメリカへ亡命して、1982年よりジュリアード音楽院で教鞭をとっています。ショパンの専門家として活躍しています。

祭じゃあぁあぁあぁあぁぁぁい!

第5回(1955年)

  • 第1位 アダム・ハラシェヴィチ(ポーランド)
  • 第2位 ウラディーミル・アシュケナージ(ソ連)
  • 第3位 フー・ツォン(中国)
  • 第4位 ベルナルド・リンガイゼン(フランス)
  • 第5位 ナウム・シュタルクマン(ソ連)
  • 第6位 Dmitri Papyerno(ソ連)
  • 第7位 Lidia Grychtołówna(ポーランド)
  • 第8位 Andrzej Czajkowski(ポーランド)
  • 第9位 Dmitri Sakharov(ソ連)
  • 第10位 田中希代子(日本)

第5回の時には、前回混戦だったこともありこの第5回大会で初めて採用された点数集計計算機になりました。上位10人がほぼ横並びの大激戦となりました。審査員の1人のミケランジェリがアダム・ハラシェヴィチの優勝に異を唱え、ウラディーミル・アシュケナージの優勝と田中希代子の準優勝を主張して、サインを書かずに途中退席しています。ちなみにウラディーミル・アシュケナージはNHK大河ドラマの【義経】(2005年)【功名が辻】(2006年)のサウンドトラックで指揮を担当しています。

祭開催情報

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