『祭り』と『音楽』は浜松の誇り

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ショパン国際ピアノコンクール その2

歴代の入賞者 その2

第6回(1960年)

  • 第1位 マウリツィオ・ポリーニ(イタリア)
  • 第2位 イリーナ・ザリツカヤ(ソ連)
  • 第3位 Tania Achot-Haroutounian(イラン)
  • 第4位 Li Min-Chan(中国)
  • 第5位 Zinayda Ignatyeva(ソ連)
  • 第6位 ヴァレリー・カステルスキー(ソ連)

マウリツィオ・ポリーニは18歳でこの第6回ショパン国際ピアノコンクールで審査員全員一致で優勝しています。この時の審査委員長アルトゥール・ルービンシュタイン(20世紀の代表的なピアニスト)が「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と賛辞を述べています。そして、一躍国際的な名声を勝ち取ることになりました。

浜松を楽しみ尽くす件

第7回(1965年)

  • 第1位 マルタ・アルゲリッチ(アルゼンチン)
  • 第2位 アルトゥール・モレイラ・リマ(ブラジル)
  • 第3位 マルタ・ソシンスカ(ポーランド)
  • 第4位 中村紘子(日本)
  • 第5位 Edward Auer(アメリカ)
  • 第6位 Elżbieta Głąbówna(ポーランド)

中村紘子がこの時に受賞していますが、中村紘子はこの第7回大会で入賞してから、今日に至るまで公式ホームページをはじめとした様々な形で、プロフィールに『ショパン・コンクールで日本人初の入賞 』と自己紹介・自己PRをしていますが、これは明らかな誤りで中村紘子本人も自ら初入賞ではないことが知っていながら初入賞と虚偽をしているとしか思えません。

第8回(1970年)

  • 第1位 ギャリック・オールソン(アメリカ)
  • 第2位 内田光子(日本)
  • 第3位 ピョートル・パレチニ(ポーランド)
  • 第4位 ユージン・インジック(アメリカ)
  • 第5位 Natalya Gavrilova(ソ連)
  • 第6位 ヤヌシュ・オレイニチャク(ポーランド)

第8回大会では、アメリカのギャリック・オールソンとジェフリー・スワンの一騎打ちとなりました。スワンが意図的に第3次予選で落とされて、会場前で抗議ビラが配られるという事態へと発展しました。反米運動とソ連からの圧力がその理由ともいわれています。

第9回(1975年)

  • 第1位 クリスティアン・ツィメルマン(ポーランド)
  • 第2位 ディーナ・ヨッフェ(ソ連)
  • 第3位 タチアナ・フェドキワ(ソ連)
  • 第4位 パーヴェル・ギリロフ(ソ連)
  • 第5位 ディーン・クラマー(アメリカ)
  • 第6位 Diana Kacso(ブラジル)

クリスティアン・ツィマーマンは、この大会で史上最年少18歳で優勝しています。そして、現在のクラッシック音楽界で最も高い評価をされているピアニストの一人でもあります。

第10回(1980年)

  • 第1位 ダン・タイ・ソン(ベトナム)
  • 第2位 タチアナ・シェバノワ(ソ連)
  • 第3位 Arutyun Papazyan(ソ連)
  • 第4位 なし
  • 第5位 海老彰子(日本)、エヴァ・ポヴウォッカ(ポーランド)
  • 第6位 Eric Berchot(フランス)、Irina Pietrova(ソ連)

浜松国際ピアノコンクール第8回からの審査委員長の海老彰子は第10回大会で入賞しています。優勝者のダン・タイ・ソンはアジアン人で初めての覇者となりました。そして、ユーゴスラヴィアからの参加者イーヴォ・ポゴレリチの演奏を巡って審査委員の意見が極端に分かれた大会でもあります。イーヴォ・ポゴレリチが第1次予選を通過したことに抗議してルイス・ケントナーが審査員を辞任します。その後第3次予選でポゴレリチが落選したことにマルタ・アルゲリッチが猛抗議して審査員を辞任するという大騒動になりました。アルゲリッチは、「審査席に座った事を恥じる」とまで述べて、「魂の無い機械がはじき出した点数だけで合否を決めるのでは無く、審査員間でも協議するべきだ」とも発言しました。そしてポゴレリチの事を「彼は天才!」と言い残してワルシャワを去りました。

祭じゃあぁあぁあぁあぁぁぁい!

第11回(1985年)

  • 第1位 スタニスラフ・ブーニン(ソ連)
  • 第2位 マルク・ラフォレ(フランス)
  • 第3位 クシシュトフ・ヤブウォンスキ(ポーランド)
  • 第4位 小山実稚恵(日本)
  • 第5位 ジャン=マルク・ルイサダ(フランス)
  • 第6位 タチアナ・ピカイゼン(ソ連)

日本では一番有名と言っても良いぐらい有名な外国人ピアニストの1人でもあるブーニンは、この大会で優勝した時は19歳でした。この時んは「協奏曲賞」と「ポロネーズ賞」も同時受賞しています。特にこの時のワルツ作品34の3の高速演奏は特に有名で、普通曲目の間では拍手しないコンクールで、聴衆が感激のあまり拍手するほどでした。

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